YIELD TO PEDS 歩行者に道を譲れ! (2017.8)

かつて自動車が普及する前の時代においては、道路といえば基本的に歩行者 = 人が通行するためのものであり、自動車のためのものではなかった。

ところが自動車の普及によって自動車が道路中央を走るようになると、歩行者は道の隅っこに追いやられ、道の向こう側へ行くには信号のある交差点まで歩いていくか、自動車交通を妨げないように命がけでそこを横断するしかない。

このような自動車交通を前提にする交通政策が長年にわたって行われた結果、道路の真ん中の大部分を自動車が占有する・・・という状況が既成事実化。

 

歩行者優先ってなんだ?

現実の道路の構造はどうなっているか。

自動車の流れをスムースにするために、信号を設置して歩行者を足止めしたり、交差点以外の場所を渡れないようにしたりする。ひどいところだと、歩道橋を上らせたりする。歩行者は、歩いて数メートルの距離ですら、幹線道路では交差点の向こう側に行くだけでも大仕事になる。 

 

信号や横断歩道は誰のため?

歩行者からすれば「自動車」が存在しなければ横断歩道もガードレールも信号も歩道橋も必要ない。横断歩道まで歩いていくこともなく、目的地に向かって真ん中だろうが端っこだろうが道路を思い思いに歩けばいいだけである。

自動車優先の道路構造が本来優先されるべき歩行者の利便・安全・快適を犠牲にしている。クルマ社会というとアメリカとかヨーロッパといった欧米を連想するもので、実際そういう面もあるが、たとえば日本では交通事故死者における歩行者などの割合が高いとされ、これは言ってみればクルマによる利便を享受していない人に負の面が、その利便を享受する人によって一方的に引き受けさせられている、という現実もある。

  • 信号
  • 横断歩道
  • ガードレール
  • 歩道橋
  • etc...

日本全国いたるところに存在するこれらはすべて、自動車を円滑に通すための装置。

世間で「クルマ社会」の問題点として語られるのは、無謀運転・飲酒運転・路上駐車といった、個々のドライバーのモラルに関する点のみ。

道路構造そのものが「クルマを円滑に通すために歩行者に不便を強制する構造」であることには一切目をつぶる。

 

原理的・構造的に「自動車が自動車である限り」自動車は歩行者を足止めしておかなければ自動車は性能を発揮できない。文明が進歩して自動車が普及したら、人は不便を強いられるようになってしまった。

「環境にやさしい」「安全」といったことを売り物にするクルマもあるが、クルマの問題はそれだけではない。むしろクルマのもたらす問題は、都市計画や道路構造といった基本的がクルマ優先になってしまっているという部分にある。

 

真の歩行者優先とは・・・

そうはいっても、社会全体での損得を考えればクルマとそれが円滑に通るための道路は程度必要だろう。クルマは乗っている分にはまあ快適だから、ほかの交通を害さない範囲であれば認められるべき。

そのためには都市部のような人口密集地への乗り入れ制限などが必要だが、それだけではなく都市計画自体がクルマに依存しない (クルマを円滑に通すためにほかの交通を犠牲にしない) 用になることが求められる。

ところで現状わが国では横断歩道や交差点などで歩行者 (あるいは自転車) に優先権がある場合にもかかわらず強引に通行しようとする自動車が目に余る。

もっともこれは日本に限ったことではないよう。ストビュー画像だが、このアメリカのフロリダ州オーランドの電光表示板には "YIELD TO PEDS" (歩行者を優先せよ PEDESTRIAN = 歩行者) と表示されている。こんなルールをいちいち表示しなければならないほど守られていないのだろう。

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歩行者優先とは、このような場所でクルマの利用者が歩行者に道を譲る・・・といった行為も含まれる。

しかし・・・歩行者優先を唱えるならば、そのような個々のドライバーのモラルに期待するのではなく、もっと根本的な点として、クルマを優先するためにほかの交通の利便を犠牲にするような道路構造そのものが見直されることが望ましい。